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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)4472号 判決 1983年9月26日

原告

武藤一治

右訴訟代理人

湯一衛

湯博子

被告

播磨幸夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いない。

二原告は、被告が平田振出の2の手形につき、(一)権利保全策を講ずることなく漫然と書替えに応じたこと、及び(二)振出人が、不渡異議申立預託金を支払銀行に預託して3の手形の支払を拒絶したにもかかわらず、右預託金を差し押える等の手段をとつて右手形金債権の回収を図らなかつたことをもつて、弁護士として受任事務を処理するにつき任務を懈怠し、そのため右手形金が回収不能となつたと主張するので、まずこの点につき判断する。

1<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、知り合いの船越重治に依頼され、同人や瓜生重雄が経営していたセブン・エイト及びフォーテイン・ルイス株式会社のために、右両社が株式会社幸福相互銀行等の金融機関等に有していた多額の債務につき、自ら連帯保証人となり、または自己所有の自宅やマンション等の財産を物上保証に供していたところ、昭和五三年九月頃、右両社が相継いで倒産し、船越重治も行方をくらませたため、右両社の債権者らから右保証責任を厳しく追及されることとなつた。

(二)  そのため、原告は、同年一〇月頃勤務先の鐘紡株式会社の上司から被告を紹介され、被告に対し前記保証債務等の整理を委任した。

(三)  そこで、被告は、まず前記債権者らと交渉して前記債務の減額を図るとともに、担保に入つていた原告の自宅を他に任意売却し、この売却金をもつて右債務の弁済に充てて債務の整理を遂げ、その結果、原告の手元にはなお現金二〇〇〇万円と原告所有のマンションとが確保されることとなつた。

(四)  原告の右保証債務の履行により、セブン・エイトの株式会社幸福相互銀行に対する債務も消滅し、同行は、昭和五四年四月一一日、セブン・エイトから担保として受領・保管していた、1、2及び6の各手形を原告に返却した。

(五)  そこで、原告は、同日、右各手形の取立をも被告に委任したが、その際、原告と被告との間で、その取立方法等につき相談した結果、原告の名でこれを取り立てると原告の一般債権者から右手形金請求権を差し押えられるおそれがあるので、被告名義の取立委任裏書をして被告の名で取立て、被告名義で前記幸福相互銀行花園支店に預金口座を開設して、同口座に右取立金を入金して保管することに合意が成立した。しかし、それ以外に原告が被告に対し右各手形の取立の方法について指示を与えたことはなかつた。

そして、被告は、同日直ちに同行に右口座を開設するとともに、1、2及び6の各手形に被告名義の隠れた取立委任裏書をして同行にその取立を委任した。

(六)  その後、被告は、龍王産業の代表者山下から電話を受け、同人から、平田振出の1、2の手形は、山下が資金繰りのため平田に依頼して振出してもらい、セブン・エイトに割引いてもらつて対価を取得したものであるから、山下において必ず支払う意向である。しかし、支払期日に支払うことは難しいので、支払期日を延期して手形を書替えて欲しい旨依頼された。被告は、右の話を聞いて、自己のこれまでの弁護士としての経験から、概ねその内容は信用できると考え、前記幸福相互銀行から1、2の各手形を取り戻すとともに、2の手形については、特に保証のための裏書等を求めることもなく3の手形に書替えることに応じた(なお、1の手形についても支払期日を同年五月一五日とする手形に書き換えられ、これは同日支払がなされた)。

(七)  被告は、同年五月二九日3の手形の取立を前記幸福相互銀行に委任したところ、同年六月に入つて再び山下から電話があり、その中で山下は、龍王産業振出にかかる額面一〇〇万円の手形三通を、セブン・エイトに詐取されたのであるが、原告は、そのことを知つていながら、暴力団を使つて右手形三通を鹿児島の龍王産業まで取立に来ている、これは不当であるから、原告が右の暴力団による龍王産業振出手形の取立を止めない限り、平田振出の3の手形の支払を拒絶する、と言つた。そこで、被告は、山下に対し右龍王産業振出手形の取立についてはしかるべき措置をとる旨約束するとともに、直ちに原告に電話をして、右山下の話の真否を尋ねたが、原告が明確な返答をしなかつたため、被告は原告が山下の言うとおり不法な取立をしているものと判断し、原告に「そのような取立は止めなさい」と強く勧告した。

(八)  しかし、原告は、被告の右勧告後も龍王産業振出手形の取立をやめなかつたため、結局、平田は、同年六月二〇日の支払期日において不渡異議申立預託金を支払銀行に預託のうえ、契約不履行を理由として3の手形の支払を拒絶した。

(九)  その後も、被告は、原告に対し「龍王産業振出手形の関係をはつきりさせなさい、そうすれば、山下は3の手形を支払うと言つているから」と勧めていたが、原告からは何の連絡もなかつた。

以上の事実を認めることができ、原告本人の供述中右認定に反する部分は、信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 ところで、弁護士は、依頼者から事件の処理を委任された場合、委任の本旨に従い、法律専門家としての善良な管理者の注意をもつて、誠実に右受任事務を処理すべきことはいうまでもないが、その事務の性質上、右受任事務の処理にあたつては専門的な法律知識と経験に基づいて具体的状況に応じた適宜の判断を下す必要があり、その意味において、弁護士の受任事務の処理については、相当の範囲において弁護士の裁量に委ねられているものというべきである。したがつて、弁護士は、その裁量的判断に基づいて誠実に受任事務を処理したものと認められる場合には、それが依頼者の指示に反し、あるいは、裁量権の範囲を逸脱したものと認められないかぎり、委任契約上の債務不履行責任を問われることはないと解するのが相当である。

3 そこで、被告が一旦取立銀行に取立を委任した2の手形を、山下の依頼を受けて取り戻したうえ支払期日を延期して3の手形に書換えることに応じた措置の当否について判断する。一般に、手形所持人から手形の取立を委任された弁護士が手形債務者の依頼を受けて支払期日を延期するための手形の書換えに応じようとするときには、一応取立依頼者の意思を確認するのが適宜の措置であるというべきである。しかし、手形所持人が手形金の回収を図ろうとする場合に、手形債務者の資金繰り等を考慮して、支払期日を延期する手形の書換えに応ずることが手形金回収のために最も賢明な方法である場合が少なくないことは言うまでもない。そして、前記1の認定事実及び原被告各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、(一) 被告が前記手形の書換えに応じたのは、弁護士としての経験に基づき平田の言葉を信用できると考え右書換えに応ずるのが手形金を回収するために最も賢明な方法であると判断した結果であること、また、(二) 原告が被告に対して1、2及び6の各手形の取立を委任した趣旨は、被告が手形債務者と交渉したうえその裁量的判断に基づき手形の書換えに応じる等、右取立の目的を達するために適宜の措置をとることをも含めて委任する趣旨であつたことを推認することができ、右確認を覆すに足りる証拠はない。そして、被告がした前記(一)の判断がその当時の客観的事情に照らして誤りであつたと認定すべき資料を認めるに足りる証拠はない。そうすると、被告が前記のとおり2の手形の書換えに応じた措置自体をもつて本件委任契約の本旨に反するとも、また被告の裁量権を逸脱するともいうことができない。

原告は、被告が保証のために裏書等の権利保全策をとらずに右書換えに応じたことをもつて、本件委任契約上の任務を懈怠したものであると主張する。しかし、支払期日を延期するための手形の書換えに応ずるにあたつては、原告主張のような何らかの権利保全策をとるのが通常の措置であるとは認められず、また、被告が前記のとおり2の手形の書換えに応ずるにあたり、たやすく保証のための裏書を求めるなどの権利保全の措置をとることができたことを認めるに足りる証拠もない。そうすると、被告が特に原告主張のような権利保全の措置をとることなく前記のとおり2の手形の書換えに応じたからといつて、本件委任契約に基づき受任事務を処理するにつき任務を懈怠したものということができず、原告の前記主張は採用することができない。

また、2の手形の書換手形である3の手形は、前記のとおり不渡りとなつたが、それは、振出人の資金不足を理由とするものではなく、前記1(八)の認定のとおりの事情により契約不履行を理由に支払が拒絶されたのであつて、その際支払銀行に対し手形金相当額の不渡異議申立預託金が預託されていることに照らすと、被告が2の手形の書換えに応じたことと原告が右手形金を回収することができないこととの間に相当因果関係があるということもできないといわなければならない。

4 次に、被告が3の手形についての不渡異議申立預託金の返還請求権を差押えなかつたことの当否について判断する。一般的には、手形の支払拒絶に伴い不渡異議預託金が預託された場合には、手形金の回収を図ろうとする手形所持人としては、右預託金返還請求権につき仮差押をしたうえ、債務名義を得て右請求権の差押・換価をし、もつて手形金の回収を図ることが有効な方法であるといえよう、しかしながら、前記1(六)ないし(九)の認定事実によれば、被告は、従前山下から3の手形はその実質的債務者である龍王産業において支払うとの確約を得ていたが、その後同人より、原告がセブン・エイトに詐取された龍王産業振出の手形三通を暴力団を使つて取立てており、原告が右取立を止めない限り3の手形の支払を拒絶すると言われ、被告から問い質された原告においても右取立の事実を否定しなかつたことから、原告が山下の言うとおり龍王産業振出にかかる手形の不法な取立行為に及んでおり、原告がこれを中止すれば、龍王産業から直ちに3の手形の支払を受けることができるものと判断し、本件3の手形が、契約不履行を理由として不渡りになり前記不渡異議申立預託金を預託された後も、原告に対し、前記不法な手形の取立を中止し、龍王産業との円満な話合によつて同社から3の手形の任意支払を受けるよう勧告し、そのことを期待してあえて右預託金返還請求権の仮差押等の法的な手段に訴えることをしなかつたことを認めることができる。そして、前記認定事実によれば、被告が前記のように判断したことに合理性がないとはいえず、また、右のような判断に立つて前記法的手段に出なかつたことをもつて弁護士としての裁量権を逸脱したものということもできない。よつてこの点に関する原告の主張も失当である。

したがつて、結局、平田振出手形の取立に関し、被告に受任事務処理上の任務懈怠があり、そのために手形金の回収が不能となつたとする原告の主張はいずれも失当である。

三次に、原告は、被告が、住専振出の6の手形について、住専が計画倒産を企てているとの情報を入手しながら、何らの権利保全策を講ずることもなく、順次7ないし10の手形に書替えることに応じたことは、弁護士として受任事務を処理するにつき任務を懈怠したものである旨主張するので、この点について以下判断する。

被告が、原告から取立を委任された住専振出の6の手形につき、別紙約束手形目録7ないし10に記載のとおり、住専から内入弁済を受けて7ないし10の手形に順次書替えることに応じたことは、前記のとおりであり、被告が右各書替えにあたり、住専に保証のための裏書を要求するなどの権利保全策を講じていなかつたことは、原被告各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認めることができる。

しかしながら、<証拠>を総合すると、(一) 被告が原告から取立の委任を受けた6の手形は、別紙約束手形目録4ないし6に記載のとおり、すでに住専から内入弁済を受けて数次の書替えを経た書替手形であつたこと、(二) 被告は、6の手形の取立を受任した後、住専から、建売業界が不況であるため6の手形を支払期日に全額支払うことができないが、手形金の一部内入弁済をするから支払期日を延期して手形を書換えて欲しい旨の申出を受けたこと、(三) そのため、被告は、原告にその旨を伝え、原告に対し、住専の手形は、従前どおり内入弁済を受けて手形の書換えを重ねつつ、少しでも多く手形金を回収しようと提案したところ、原告もこれを承諾したこと、(四) そこで、被告は、右方針に従い、前記のとおり、順次6から10の手形まで内入弁済を受けて書替えに応じていつたが、住専が同年一一月一〇日倒産したため、10の手形金一四〇万円の回収が不能に帰したこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する原告の供述はたやすく信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被告は、原告との合意により定まつた取立方針に従つて、前記のとおり内入弁済を受けつつ手形の書替えに応じていたことが認められるのであつて、原告が被告に対して手形の書替えの際には何らかの権利保全策を講ずるよう指示したこと、被告が前記各手形の書換えの際住専が計画倒産を企てているとの情報を入手していたこと、また、被告が前記各書替えに応ずるにあたりたやすく何らかの権利保全策をとることができたことについては、いずれもこれを認めるに足りる証拠がない。そうすると、被告が何らの権利保全策を講ずることなく前記各手形の書換えに応じたからといつて、本件委任契約に基づき受任事務を処理するにつき任務を懈怠したものということができず、原告の前記主張は採用することができない。

四さらに、原告は、被告が3及び10の各手形を原告に返還するに際し、漫然と第一裏書全部を抹消してしまつたため、原告は右各手形上の権利を行使しえなくなり、その結果右各手形金相当の損害を被つた旨主張するので、以下この点につき判断する。

1  被告が2の手形の書替手形として交付を受けた3の手形、及び6の手形の数次の書替え後の手形として交付を受けた10の手形は、いずれも受取人白地で振出されたものであつたので、被告がこれらを株式会社幸福相互銀行に取立委任するにあたり、受取人及び第一裏書人として自己の名を、第一被裏書人として右銀行名をそれぞれ記載したこと、その後、本件委任契約が解除され、被告が右各手形を原告に返還するにあたり、右各手形の第一裏書人全部を抹消したことは、当事者間に争いがない。

2  右事実によれば、原告が返還を受けた右各手形は、その記載において受取人と原告との間に裏書の連続が欠けるため、右記載のままでは、原告が右各手形を所持するに至つても、その手形上の権利を行使するのに重大な支障があることは当然である。したがつて、民法六四四条、六四六条の趣旨に照らすと、被告は、右各手形を原告に返還するにあたり、第一裏書を抹消した以上原告に対する無担保裏書をするなどして受取人から原告への裏書の連続をつけておくべき義務があると解される。

しかし、被告が前記のとおり第一裏書を抹消したまま前記各手形を原告に返還したからといつて、もはや被告において前記義務の履行をすることが不能になつたわけではなく、かつ、被告において前記各手形返還後も右義務の履行を拒絶する態度をとつていると認めるに足りる証拠はなく、かえつて、弁論の全趣旨によれば、被告は右各手形返還後も原告の要請があれば何時でも前記各手形に原告に対する無担保裏書等の裏書の連続をつける措置をとるという態度を持続していることが認められるから、原告としては前記各手形の返還を受けた後被告に前記各手形を呈示してかかる措置をとるよう求めさえすれば、これに裏書の連続をつけることができ、手形上の権利の行使に支障がなかつたものというべきである。

そうすると、被告が原告に対し前記のとおり前記各手形を返還するにあたり第一裏書を抹消したことの一事により原告において右各手形上の権利を行使することが不可能になつたものということができない。

したがつて、右手形上の権利行使が不可能となつたことを前提とする原告の前記主張は採用することができない。

五結論

よつて、原告の請求は、理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(黒田直行 本間榮一 杉田宗久)

約束手形目録<省略>

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